これまで、視覚、聴覚、嗅覚、触覚
などなど、感覚が呼び起す快楽について
いろいろと書いてきているのですが。
最近「感覚」そのものについて、
ちょっと興味があっていろいろ調べてみました。
すると・・・
感覚遮断実験を発見。
昔みた
映画をきっかけにして、ずっと興味のあった
アイソレーションタンクの話につながっていたとは。
嗜好を表現するのも、快楽を感じるのも、相互に意思疎通するのも、
つきつめると「感覚」を介して起こっていることになるのでしょうし、
その上、「感覚」を感じるのも「感覚」なのだとしたら、
いったい「感覚」とは、なんなのか?
非常に興味がわいてきている、今日この頃です。
はなさん、こんにちは
>ひとは意識・・・というか言葉で認識する
おっしゃるとおりですね。
意識できなかったものを、意識させ
明示的に刷り込んでいく過程では、
言葉は、道具として、言葉は非常に
重要なものですね。
意識できない欲求が、意識されないまま
それを満足させられたときには、
満足したことを意識していないとしても
何らかの影響というか、何らかの効果が
あるはずだとすれば、そういう効果を
背景にして、発し、受け止められる言葉は、
より力があるのではないかと。
言葉と、その背景にある無意識の欲求
この関係は一筋縄ではいかないだけに、
大変興味深い世界でもありますが、
卵と鶏の話になってしまいそうです。
なんか堅苦しいレスになっちゃいました。
これに懲りずに、お気軽にお越しくださいね。