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圧倒的な違い 

2006年09月10日 ()
blue
夏が終わろうとしている

今日のように暑い日も、真夏の激しさとは
どこか違う感じを受ける

少しずつ、確実に季節は移り変わっていく



何かが変わる時、変わった後で気がつくことが多い
その瞬間、境界線は、意識していないと見逃しがちだ

未明の風の湿度が少し下がる
雲の輪郭が、おぼろげになってくる

変化は、突然やってくるようでいて
実はごく小さな兆しから始まる

あふれ出るような快楽に浸りきる時間は
パチンとスイッチを入れた瞬間に訪れるものではない
テレビのチャンネルを切り替えるようには行かないのだ

瞬間瞬間の積み重なりで紡ぎだされる時間
1秒、1分、1時間、1日、1ヶ月
何を想い、何も求め、どう過ごすのか

互いの嗜好に向き合い、
求めるものの何たるかを見出しながら
少しづつイメージをはっきりとさせていく

結果としての行為は同じようであっても
そこに至る時間の過ごし方で
圧倒的な違いが生まれる

その過程を経たものだけが
たどり着く世界があるのだと思う

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[2006.09.10(Sun) 23:28] 嗜好Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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感覚 

2006年07月30日 ()
blind

これまで、視覚、聴覚、嗅覚、触覚
などなど、感覚が呼び起す快楽について
いろいろと書いてきているのですが。
最近「感覚」そのものについて、
ちょっと興味があっていろいろ調べてみました。


すると・・・

感覚遮断実験を発見。

昔みた映画をきっかけにして、ずっと興味のあった
アイソレーションタンクの話につながっていたとは。

嗜好を表現するのも、快楽を感じるのも、相互に意思疎通するのも、
つきつめると「感覚」を介して起こっていることになるのでしょうし、
その上、「感覚」を感じるのも「感覚」なのだとしたら、
いったい「感覚」とは、なんなのか?

非常に興味がわいてきている、今日この頃です。










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[2006.07.30(Sun) 01:02] 嗜好Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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果物 

2006年07月02日 ()
6月から7月の今頃
うっとうしい季節です
5月のからっとした気候がうそのよう

たっぷり水分を含んだ果物
指先で熟成加減を知り
皮をむき、たちのぼる香りを味わい
染み出す果汁をすくい取りながら口に運ぶ


果汁は皮に守られて、蓄え熟成されながら、
何らかの刺激を与えてあふれ出る日を待っている

人間の身体も多くの水分を含んでいる

溶けて身体にしみこんだ嗜好は、
どのようにして解き放たれるのか・・・

視線を注ぎ、言葉を浴びせ
指先で押し広げ、吸い出し
一皮一皮 剥き去りながら

やがて、その水分が溢れ出て
留めることもできなくなり
解き放たれていく

喜ばしいことです

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[2006.07.02(Sun) 14:57] 嗜好Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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水 

2006年05月20日 ()

海さんのBlog

海から生まれて・・・
のエントリ『水』から


女の身体は水なのだと
そう新聞の下着の広告に書いてあって
つい ああ そう水、、と頷いてしまった。


本来混ざり合うことのないものでも
それぞれを水に溶かし込むことで
混ざり合い、反応することもできる

触れ合うことにも、体液を交換することにも
視線ですら薄い涙の層を光が通過していることを
思えば、自分自身と世界の間の、あらゆる接点に
水はかかわっているわけで。

無職透明の水が、媒介し、伝播するために果たす役割は
はかり知れないのですね。

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[2006.05.20(Sat) 15:28] 嗜好Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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満たすもの、満たされるもの 

2006年05月12日 ()

絶対に知られたくない欲求を、
意識しないまま満たしてくれるから
人間関係ってうまくいくわけでしょう。

村上龍の小説の中の一節です。

どういう脈絡での一節かは忘れてしまいましたが。
意識しないままに満たされた欲求は
いったいどうなってしまうのでしょう。
満たされたといえるものなのでしょうか。

個人的にはむしろ・・・

意識することができなかった欲求をはっきりと示し
しっかりと意識にすりこみ
すりこまれてしまったがゆえに
むさぼるように求めてしまう

そんな姿を見たいものだと
思ってしまったのでした。

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[2006.05.12(Fri) 21:50] 嗜好Trackback(0) | Comments(5) 見る▼
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COMMENT

by kenG

はなさん、こんにちは

>ひとは意識・・・というか言葉で認識する

おっしゃるとおりですね。

意識できなかったものを、意識させ
明示的に刷り込んでいく過程では、
言葉は、道具として、言葉は非常に
重要なものですね。

意識できない欲求が、意識されないまま
それを満足させられたときには、
満足したことを意識していないとしても
何らかの影響というか、何らかの効果が
あるはずだとすれば、そういう効果を
背景にして、発し、受け止められる言葉は、
より力があるのではないかと。

言葉と、その背景にある無意識の欲求
この関係は一筋縄ではいかないだけに、
大変興味深い世界でもありますが、
卵と鶏の話になってしまいそうです。

なんか堅苦しいレスになっちゃいました。
これに懲りずに、お気軽にお越しくださいね。




by はな
あ、赤ちゃんは違うわ。
絶対知られたくない欲求じゃなくて
知ってもらわないと困る欲求だ。。
失礼しました。ぺこぺこ

by no name
確かに。

村上龍の言うコトもkenGさんの書かれたこともわたしは両方納得しちゃった。

ひとは意識・・・というか言葉で認識する生き物だと思っているので、確かに言葉や視覚などで意識しないと、満足したかわからない。

でも赤ちゃんが母親にだっこされてキモチイイとしたら。それは何だろう?

by kenG
認めたくないことに関して、怒りという
感情が沸き起こるのは自然なことだと
思います。

怒り というと、ネガティブな感情
だととらえがちですが、何も感じない
のとくらべれば、なんというか、
より積極的になりうる可能性がある
ということではないでしょうか。
(極端に単純に言えば・・・ですが)

怒りの中に、中にどんな想いがあるのか
きっとお考えになることもあるのでは?




by こねこ
これに関しては、私の中に二通りあるのだと自覚しています
意識しないまま満たしてもらいたいもの
意識して満たしてもらいたいもの

それはその欲求が、自分の心の奥底で「認めたいこと」であるか、「認めたくないこと」であるかによるようです

それが認めたくないことだった場合、意識して満たしてもらったら(私はですがw)何故か怒りの感情が沸くようです(笑)
未熟ですねw



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