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見つめる先にあるもの 

2006年01月28日 ()
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快楽の頂点を極める時、多くの人は、その感覚に埋もれるように
まぶたを閉じていることが多いと思います。


その様子をしっかりと見届けようと見つめていると、
うっすらと開いたまぶたの間から覗く瞳が、しっかりとこちらの
視線を受け止めた途端、さらに深い快楽を得ていくのが、
手にとるように解ることがあります。

「見つめる」ことが、ただ「見る」という行為との違いは、
なんなのでしょうか。

抑えつけられ、追い詰められ、登りつめていく、その様子を
捉える視線には、その対象に向けた想いがつまっていて、
それを感じ取ることで、さらに深い快楽をもたらす・・・
ということなのでしょうか。

「視線の力」を感じる力 から引用

ただ網膜に何かが写っているだけでは「視線」は生じない。見る、というより自分の意識とその意識を振り向けた対象物を結ぶものが視線なのだ。
意識を振り向けることと、意識を振り向けられること。そのやりとりをコミュニケーションと呼ぶのだろう。

本文は、マスメディアのあり方についてのコラムですが、
意識を持つことこそが、視線に力を与えるという考え方は
漠然としていた「視線」というものをとてもうまく言い当てて
いるように思います。

勝手流に言い換えれば「自分の嗜好とその嗜好を振り向けた対象物を
結ぶもの」、本能的に沸き起こる性的な興奮が、視線に力を与え影響を
及ぼすとでもいうのでしょうか。

「見つめる」という動作にどれほどの力が秘められているのか。
はかり知れないものがあるのです。

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[2006.01.28(Sat) 01:48] 視線Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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見えないものを見る 

2005年09月27日 ()
見ないことで得られる快楽と、見る事で染み込む悦楽。

視線を遮り妄想の世界に追い込むことは、想像力をバネに
極めて深い快楽をもたらすためか、好まれる方も多いのでは
ないでしょうか。

人間は快感を味わう時、自然と目を閉じるようにできているようですが。
僭越ながら、ここは、あえて、「見る」ことでもたらされる反応を
味わいたいものだと思っているのです。
そう、露出や羞恥といわれる、不特定多数が関与しうるものでは
なく、相対する関係の中での「見る」に拘っているわけです。

見る事を命じたことからもたらされる反応であっても、
見つめられていることにふと気が付いた瞬間の表情の変化
でもいいのです。

見ようと思わなければ、見えないものは見えない

瞳の底まで見通すような視線を注ぎながら、じっと観察していると
見返される視線の質が変わるその瞬間があることが分かる・・・
そう、視線でスイッチを入れる、そんなことができたらいいなと。

前から何度か書いたことの繰り返しになっているような気がしますが。
なぜか「見る」事にこだわっているのですね。



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[2005.09.27(Tue) 00:16] 視線Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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そこにあるもの 

2005年06月19日 ()
AとBどちらが濃いグレーだと思いますか?
このイメージ、ご存知の方も多いと思いますが・・・


checkershadow_illusion4meds.jpg

(クリックすると別のウィンドウに大きなサイズで表示されます)

さあ,確かめてみてください。


Open↓

AもBも同じグレーとは・・・どんなに確かめても、
やっぱり同じグレーには見えません。

このイメージに限らず目の錯覚を誘うイメージは、いろいろあります。

これは、視覚の特性を利用した錯覚ですから、なんでもこんなふうに
錯覚するというものではないでしょうけれど・・・

どんなに客観的に見ているつもりでも、周りの状況などによっては、
いとも簡単に錯覚を引き起こされることがある。ということを
思い知らされますね。

今見つめているもの、その周りのものを取り去ったとき、
そこになにがあるのか・・・


「目の前にあって見えていても,見えてないものがある」

時には、そういう視点で、いろいろなことを考えてみるのも
必要なことなのかもしれません。


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[2005.06.19(Sun) 19:56] 視線Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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視線 

2005年05月28日 ()
ずっと気になっているキーワード「視線」

これから、いろいろ綴っていこうと考え、
カテゴリにしてみました。

どんなものが書き込まれていくのか・・・

自分でも楽しみです。

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[2005.05.28(Sat) 12:17] 視線Trackback(0) | Comments(0) 見る▼
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完全なる無表情 

2005年05月21日 ()
交わされる視線について、思わず反応したくなるエントリがありました。

sizukuさんのlove.logから、無表情からトラックバック。

彼はときどき「その目」を見せる。

私の知る限り、私の周りに、あんな目をする人間は他には居ない。

それは「完全なる無表情」・・。



目線について、自分でも一体何が表現したいのか
核心にふれることができないままのような気がしていますが。
自分にとって視線というもの。そこにあるのは、間違いのですが。

Open↓

自分自身のことで言えば、見つめるという行為は、従者が高まっていく様子を見て取り、どこに導くかを考えることは、所有し支配していること実感させます。結果を計算し、またあるときは本能のままに、従者の中で、どんな作用・反応が起こっているかを見極めたいと思っているのです。

私はきっと、彼の「あの目」に嵌ったのだろう。

私は彼の、あの目、あの無表情に、興奮する。。



従者が、じっと閉じた目をふと開いた時、その視線を見出し、見出したことで、さらに高まって行く様子。見て取られることを、あからさまに意識することが、従者が従者たることを深く意識する瞬間でもあるのではないかと思います。

無表情が拒絶という意味ではなく。様々なコミュニケーションの手法のひとつであり、つながりを実感させるひとつの表現なのだろうなと。


彼の「あの目」で説かれたら、
きっとそれが相対性理論でも、私はイけると思う。

 ・・彼自身が気づいているかは、わからない。



きっと気づかれていると思いますが。どうでしょうか^^


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[2005.05.21(Sat) 10:17] 視線Trackback(0) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

by kenG
sizukuさん 

丁寧なコメントありがとうございます。

|心底「あの目」は何なんだろう、と思います。

そうでしたか。意識していようが、無意識であろうが、相互が影響しあってのこと。
そもそも、説明することすらできないものなのかもしれませんね。

(決して面白半分ではなく)とても興味深いです。

今後ともよろしくお願いします。


お邪魔します。(*..) by sizuku
kenGサマ、TBありがとうございました。^^

>自分自身のことで言えば、見つめるという行為は、
>従者が高まっていく様子を見て取り、どこに導くかを考えることは、
>所有し支配していること実感させます。
>結果を計算し、またあるときは本能のままに、従者の中で、
>どんな作用・反応が起こっているかを見極めたいと思っているのです。

おそらく仰る通り、それこそが主様の側の心理なのでしょうね、と思います。
 私の側からすれば想像でしかないのですが。(笑)

彼もそのときどきでいろんな目をします。
普段話しているときの、デフォルトの優しい目。
微笑ってる目もあれば、はにかんだ様に照れた目とか。
何かに真剣な目、何かに見入った目、
ときには困ったような目とか、呆れた目とか、
もちろん、怒ってる?というような目も。^^;

見られること、見つめられること、で、私が「感じる」のはもちろんなんですが。(笑)

だから、ときに「逸らすな」と、そんな彼の視線を意識させられることにも、
ものすごく興奮します。(*..;

さて。そんな彼に見つけてしまった、この「無表情」なんですが・・。
これはね、たぶん、どう説明しても、誰にも想像がつかないと思うんです。
(だったら書くなよ、というのは置いておいて。^^;

だけど私はこの世の中に、
どんな言葉でも説明がつかない無表情なんて表情があることに、気づいてしまった。
心底「あの目」は何なんだろう、と思います。

彼自身が気づいているかどうか。ほんとに私にもわからない。
というのは、例えば「ほら、あの目、してみて。」と頼んだとしても、
きっと「あの目」は、意識して再現出来るものじゃないと思うからなんです。

もし私が、彼自身にとってさえ無意識下で現れる表情に嵌ってしまったのだとしたら・・
なんか、もう、それこそ「どうしようもない」ですよね。^^;

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