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見ないことで得られる快楽と、見る事で染み込む悦楽。
視線を遮り妄想の世界に追い込むことは、想像力をバネに
極めて深い快楽をもたらすためか、好まれる方も多いのでは
ないでしょうか。
人間は快感を味わう時、自然と目を閉じるようにできているようですが。
僭越ながら、ここは、あえて、「見る」ことでもたらされる反応を
味わいたいものだと思っているのです。
そう、露出や羞恥といわれる、不特定多数が関与しうるものでは
なく、相対する関係の中での「見る」に拘っているわけです。
見る事を命じたことからもたらされる反応であっても、
見つめられていることにふと気が付いた瞬間の表情の変化
でもいいのです。
見ようと思わなければ、見えないものは見えない
瞳の底まで見通すような視線を注ぎながら、じっと観察していると
見返される視線の質が変わるその瞬間があることが分かる・・・
そう、視線でスイッチを入れる、そんなことができたらいいなと。
前から何度か書いたことの繰り返しになっているような気がしますが。
なぜか「見る」事にこだわっているのですね。
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[2005.09.27(
Tue) 00:16]
視線 |
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