誰もいない深い森の中で
木が倒れたとする。
それはどんな音なのか。
果たして音がしたのであろうか。
以前、聞いたことがあるこの話。
これを聞いて、どんなことを考えるでしょうか。
深い森の中に自分を置けたときには、木が倒れた時の音を
聞くことができるわけで。そこにいなければ、倒れた後の
木を見ることはできても、その時、どんな音がしたのかを
明らかにすることはできないのですね。
「音を聞く」自分があってこそ、「音がする」のであって
「音がしたから」自分にも「聞こえた」わけではないのですよね。
倒れる音を、「自分の嗜好」と置き換えて考えてみると。
自分がどこにいて、何を聞いているのか。これがすべての発端に
なるのだろうなと、思うわけです。
誰も入ることができない森の奥深く分け入ることができること。
誰もいないと思っていた森の中に、ひっそりと潜むものを見出せること。
そんな技が磨かれてこそ、聞こえてくるものが、実はたくさんありそうです。
世にある様々な嗜好の発露を、そのまま、自分が聞いた音だと
鵜呑みにせずに、きっかけとして受けれ、その奥に、まだ聞いてない音が
しているのではないかと分け入っていくと、そこにはなにがあるのか・・・
今日は、10月とは思えない日差しの中、そんなことを考えていました。
そういっていただけると、書いた甲斐がある
というものです。ありがとうございます。<ワクワク
音がするかどうかは、音を立てるほうではなくて
聞く方次第だともいえる。
というように、読み取ってみると
とても面白いと思うのですよ。
小説のほうは、そんな話ではなさそうですね。
では