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元栓をひねったのは・・・ 

2005年05月05日 ()
長い時間、潜在的に想い募り、抑圧してきた自らの嗜好が、
ネットの中でさまざまなサイトを読んだり、チャットや
メッセでの語らいのなかで、ひとつひとつ解され、溶かされていく
感覚を味わったことの有る方は多いと思います。

それまで言葉で表現することができなかったような自らの嗜好が、
自らの言葉で表現できるようになっていく。喜ばしいことです。

また、それだけでなく。さらに、同じ方向性の嗜好を持つ人が
実際に存在して、その想いや悩みが語られ、共感し、励まし、
助けられる。特に、多くの日記やBlogが簡単に作成できて、
トラックバックやコメントでつながりをもって展開される。

ネットなくしてはありえなかった世界ですね。

すでに顕在化した嗜好を発動させるスイッチではなく、
深く根をはった嗜好を解き放つきっかけ。

いわば元栓を開くような、きっかけとなった言葉、出来事。
どんなものがあったのでしょうか?

どんなに経験や知識をつみあげたところで、変わることのない
何かかが・・・滾々と湧き出るその元栓。

自分にはどんなものが湧き出ているのか、時に考えることが
あります。(枯れていないことを祈っています^^)


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[2005.05.05(Thu) 00:00] スイッチTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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小さなスイッチ 

2005年04月03日 ()
目の前に立つ従者に、自ら服を取り去ることを命ずる。

長らく愛玩されることを欲していながら、不安にさいなまれながらもその時を迎え、、目の前に立っているということが、未だ現実だと思えないような、そんな状態。

命じられ、自らの手で、その身をさらすことに戸惑いを覚えながらも、一度手が動き出すと、もどかしいように上着、下着、次々と取り去っていく。

1枚1枚、着衣を脱ぎ捨てていく衣擦れの音だけが部屋の中にかすかに漂っている。


Open↓

外すボタン、袖を抜く動作のひとつひとつが、スイッチとして作用しているようで。小さなスイッチであっても、ひとつひとつ積み重ねられることで、大きなうねりを呼び起こす。

少しづつあらわになっていく上気した肌は、たとえ吐息であっても、触れることに対して、敏感に反応する状態になっている。

ゆっくりと立ち上がって、背後に回りこみ、また正面に立つ。
歩いた時に起こるわずかな風にでさえ、身を捩らせる。

ふと手を伸ばし乳首を強くつまむ。

背中手をまわし、首筋にに息を吹きかける。

身を引いて、また押し付けるようになだれかかってくる。
既にスイッチが入った状態での直接的な刺激は、身体中に波紋を広げていくかのような反応が引き出されている様子が見てとれる。

そしてついに、うつむいた口元から、吐息に混じってぼそぼそと。

「・・・して・・・ください」

そう、その言葉が聞きたかったんだと実感する。

直接的な刺激ではなくても、自らの動作をもって自らスイッチを入れる行為をさせることができる。

最後の一押しは、そのか細い声。

それは、僕のスイッチが入る音でもあったのかもしれない。

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[2005.04.03(Sun) 02:04] スイッチTrackback(0) | Comments(2) 見る▼
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COMMENT

by kenG
花*さん

コメントありがとうございます。

>必死で放った言葉に自分にスイッチがガチャンと入ることあります。
>その時のスイッチは開放された感覚というより、起爆剤のような感じです。

なるほと、起爆剤ですか。

ガチャンと入るまでに、どれだけエネルギーを溜めて起爆させるか・・
そのための下ごしらえをいかに丁寧にするかで、
起爆した後の反応がかわってくるのでしょうね。

ぼちぼち更新していきますので、今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いします。

by 花*
私も久しぶりのエントリーを嬉しく思いました。

>少しづつあらわになっていく上気した肌は、たとえ吐息であっても、触れることに対して、敏感に反応する状態になっている。

スイッチが入ると妙に神経が研ぎ澄まされてしまい、小さな吐息一つ、目線ひとつでビクッと反応してしまいます。
そして、
>直接的な刺激ではなくても、自らの動作をもって自らスイッチを入れる行為をさせることができる。
例えば、主が命令してくれれば言うことが出来るのに、、恥ずかしくて言えなくて、でも言わなきゃいけない状態に持ち込まれて、、
必死で放った言葉に自分にスイッチがガチャンと入ることあります。
その時のスイッチは開放された感覚というより、起爆剤のような感じです。

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絵を描くなら 

2005年02月26日 ()
微小な電気信号を澄んだ音色に増幅するオーディオアンプのように、拘束した身体から発する快楽の旋律。吐息、筋肉の緊張と弛緩、溢れ出る体液。支配し所有していることを表現する、ひとつの方法。

絵画を描くには、対象を観て、線ではなく面で捉えることが肝要だといわれる。

白く柔らかい肌に食い込む縄は、線ではなく面で従者を捕えてはなさない。眼を閉じてもはっきりとみることができる、そんな絵を描きたい。

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[2005.02.26(Sat) 03:37] スイッチTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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蛇口をひねりつづける 

2005年02月26日 ()
コメントを寄せてくださった、はなさんが、
HNのやわらかい語感とは裏腹に、ソリッドな
言葉でつづる、ESCAPE「戸惑いながら」は、こんなことを考えさせてくれました。

そう言ってJは私の蛇口をひねり続けた。
片方の口の端を上げて、目はサディスティックな色を浮かべてる。



水がほとばしり出る蛇口は、ボリュームを最大にあげて
求め与え合う状況を彷彿とさせます。

乱暴にひねるのもよし、じわじわとひねるのもよし、
人それぞれのものでは、ありますが。
Open↓

個人的には、やはり、どこに蛇口があるのか、その蛇口を
どこまでひねるのか、いつまでひねりつづけるのかを、
冷静に見極めることこそが、従者をより深く所有していく
ステップなのだろうと思います。

「ごめんなさい」
「ごめんなさい」
「ごめんなさい」

酷く過敏になってるのを自分で感じる。
Jの表情一つが、言葉の投げかけ一つが、
私の感情全てを左右する。



従者が欲している言葉をぶつけるだけでなく、それを超えた状態に
追い込んで、欲していることや、意思や、意図をきれいさっぱり
消し去っていく。そして、やがて、すべてを委ね、すべてをさらけださせるていることを確信する瞬間。

その瞬間を積み上げていき、一歩一歩、従者を染め上げて
いくことは、とても喜ばしいことなのだと、実感しました。

はなさん、ありがとうございました。

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[2005.02.26(Sat) 03:31] スイッチTrackback(0) | Comments(1) 見る▼
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COMMENT

by はな
素敵なトラックバックありがとうございました。
びっくりしてまた”戸惑って”しまいました。。

>従者が欲している言葉をぶつけるだけでなく、それを超えた状態に
追い込んで、欲していることや、意思や、意図をきれいさっぱり
消し去っていく。そして、やがて、すべてを委ね、すべてをさらけださせるていることを確信する瞬間。

追い込まれて、自分の意思が無になってしまう瞬間。
いえ、自分の意思なんて無くなってしまえばいいのに・・
そんなことを考えているのだと思います。
そういった自分を主はどう見てるのだろうか?
聞くことの出来ない疑問でした。

kenGさんの言葉で主はきっと、すべて分かっているのだとそう実感させて頂きました。
どうもありがとうございました。


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唯一無二のスイッチ 

2005年01月27日 ()
20050219104352.jpg
導く先を考えながら、少しづつ、自分の嗜好に近づけていくことは、一朝一夕では成し得ないもの。


理解を深め、感性を共有し、時にはその境界線上で理解できない状況にもなり
時と機会の積み重ねを、超えていけた時にこそ、その先にある一体感を会得できる。
そんな思いをもって過ごしています。

行為は理解を深めるひとつの方法ではありますが、あくまで氷山の一角。
水面下に隠れた部分の大きさを意識することが、また、行為そのものをより深く、受け入れ、縛り付け、無二のものにさせるのです。

望んでいるのは、そういう土台の上に成り立つ行為、その蓄積を表現するための行為なのですね。

例えば・・・


Open↓

指先のほんのわずかな反応も逃すまいと、悦びを表現しようとする身体を
締め付ける縄の軋む音に、もれる吐息の強弱に、五感を集中させながら、
ささやきかける言葉を選び、力を込め、味わう…

責めを受け入れ、自らの快楽に溺れないよう堪えながら、それでいて
着実に登り詰めていく様子を、冷静にとらえる視線。

やがて、すべてを解き放ち、生々しい本能をそのままさらし、欲し、求める目の当たりする時、それまでの時が、確実に、そこに集約されているものなのです。

一方的に与えるだけで、スイッチを入れまくって、服従させるという方法もあるでしょう。

僕は、与え、その反応を咀嚼しながら、だんだんと積み上げられていく感情、感覚の蓄積があってこそ、たった一言の言葉や、ふとした想像でさえ、そのスイッチを形作り、ONにすることができるのだと思います。

あたかも、最初からそこにただ、ふれればオンになるスイッチがあったのではなく
すべての時間がそこに集約されているからこそのスイッチ。

そういうスイッチは、他人には絶対見つけることができないもので、僕だけのものになるのだと。

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[2005.01.27(Thu) 18:53] スイッチTrackback(0) | Comments(0) 見る▼
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