先ほど分類の話でもやもやと感じていたことを、ずばり別の切り口で語っているCyoKyoさん。「SMとは別に特殊な世界でもなんでもなく、男と女の究極の愛の形である。」という実感のこもったお考え、これがCyoKyoさんの世界なのですね。
SMの世界 S男がS男であるために:誤解多きSMの世界
なぜか冷静に考えると「逃避」のひとつの手段として使われているような気がしてならない。
とは、手段にのみ使われることを指摘されているのだとおもいますが。
見方を変えれば、手段のひとつとして使われることにより、また、その人が求めているものを見つけるきっかけとなりうるともいえるのでは・・・とも思ったり。
いかがでしょうか。