だって私は自分の事を 実際の所はただの「快楽主義者」だと思っているのだから。
と、おっしゃる、misakiさんの
*Sweet×Bitterからのトラックバック。
とかく形式的に捉えられがちなSMという嗜好ですが、このmisakiさんの言葉には、
自ら体得された、「私にとってのSM」が、とても明確に表現されています。
私にとってのSMっていうのは
より互いの心の奥に入っていくための「方法」なんじゃないかな?
なんて最近思ったりする。
もっともっと 深くまで。
もっともっとリアルな部分まで。
見せてくれていいよ。 貴方のどんな部分も。
見てください 私のどうしようもなく生々しい部分も。
行為そのものが目的となっていたり、思考にだけ片よった空想事を強制するような、本末転倒さは、みじんもなく。まさに生身のmisakiさんによる、misakiさんにとってのSMだという感触が、ダイレクトに伝わってきます。
私にとっての「快楽」は多分、女として生きてる実感。
そして「SM」はそれを深く感じるための方法。
嘘偽りの無い場所に、余計な飾り事の無い場所に
到達するための 手段。
それぞれの人にとって、求めているものと、その方法がわかった時、そこから得られるものはい、とてつもない広がりや、悦びを与えてくれるのでしょうね。