それまでの
「はい」
という相槌がなくなります。
耳元には吐息だけがかすかに聞こえ・・・
一言一言の間を、十分に置きながら、
刺すような言葉をちりばめ、その反応をうかがいながら、
やがて、畳み掛けるように、乱暴な言葉を浴びせ掛けると、
それに呼応するように、
ガツン・・・と、抑えていたものがはずれる音が聞こえ、
真の反応が導きだされることになります。
「もっと・・・」
と堰を切ったようにあふれでる言葉、声、音で感じられる動き
そして、ついに
「・・・」
シンクロするその瞬間には、言葉すら必要ではないのです。
触れることができなからこそ、言葉が身体の反応を引き出すことができる、研ぎ澄まされたその感覚と、そこから得ることができる快楽は、乱雑に身体を重ねたようなものとは、比べ物にならない、より一層深く、はっきりした刻印を、その身体に刻み込むものなのでしょう。
ただの自己中な角度だけで綴ったブログです・・すみません。
貼り付けちゃったりして。。
主従関係というものがはっきりと理解できてない私なので、
こちらでいろいろと勉強させていただいております。
宜しくお願いします。