愛玩
大切にし、かわいがること。多く小動物や器物についていう
愛玩されていることを実感するのは、どんな時でしょうか。
愛玩とは、いわゆるプレイする行為そのものをさすのではなく
そこにいたるまでの過程が形作るものではないかと思います。
愛玩しているという言葉は後からついてくるものだと。
はたからみて、加虐的であったり、一方的な行為でさえも、
当事者が愛玩だと思えば、愛玩になるということ。
はたからみて、きわめて一方的な行為であっても、
与え、受け止めるという相互の関係を築いていく
過程があれば、まったく質の違う、まさに思いのままの
行為であっても、それはまさしく愛玩足りえるのですね。
>「愛玩」と「壊される」、背反するような二つの言葉でも、
>「愛玩」されているという前提があれば、繋がるものなんでしょうね。
そうですね。
violetさんのコメントを読んで、
この「前提」をどう築きあげていくか、
その「過程」こそが、愛玩ということ
なのかもしれないと思いました。
violetさんの夢がかないますように。
今後ともよろしくお願いします。