きわめて冷静に命じているつもりでも、染み出るような興奮は、確実に従者に伝わり、従者を昂ぶらせ、ふとした瞬間に見せる興奮のまなざしが、従者にこの上もない充足感を与えることがあるのですね。
一般的に「受身」と理解されがちなM的な素養ですが。ただ単純に受身と同義だとは思えず、それを、どう表現したものかと思いあぐねていました。
受け入れたことが主者に伝わったのかを、積極的、能動的に感じ取ろうとする・・・その姿勢こそが、積極的に受け入れるということなのではないかと、そんなことを気づかせていただきました。
同時に、その従者の「強欲」が見て取れるからこそ、惜しげもなく自らをぶつけることができるだとも。
個対個で向き合った時に生ずる快楽、とりわけ、悦びを極めるその瞬間の表情や空気の変化。快楽にまつわるそういった変化の瞬間について興味がありまして。
sizukuさんのエントリは、そういう瞬間を、また違う角度で表現されているのではないかと・・・思った次第です。
>私は他の記事で「完全なる無表情」という「目」について書きましたが、
>そこから、まさに、染み出してくるような感情を感じることがあるんです。
> 決して意識的なものでなく、無意識下の感情というか。
>
>そこに私は、何より興奮する。
>
染み出てくる無意識の感情のようなものを感じとることができるのも、自らの快楽に強欲なればこそ。向かい合う相手の快楽に対して極めて敏感になっていく。その姿勢が、また相互の快楽を高める触媒になる。そういうことこそが、相互に向き合っているということなのだろうなと。
それにしても・・・どうもsizukuさんの言葉尻を捕まえて、大袈裟な考えをひけらかしているような気もしますが。これにこりずに今後ともどうぞよろしくです。